ヒトの「一次味覚野」は脳の中心溝の後ろ側にあるそうですが、実はここは複数の感覚が入力される領域であり「味覚専用」ではないので「味覚野」とは呼べないという説もあるそうです。

そのあと「二次味覚野」に到達し、嗅覚・触覚・味覚が出会い、実際に私たちが「味」と呼んでいる食味(flavor)が生まれるのだそうです。更に興味深いのは、他の情動系からの情報が統合されて、ヒトは「おいしさ」を感じているということです。(参考)檀 一平太, 食の脳内探索-おいしさを超えて-, J.Seizon and Life Sci. Vol.21 B, 2011,3

すなわち、舌(味覚器)からの情報だけで「味」は決定されないし、更に「おいしさ」は情動系の情報が加わって生まれるということなのですね。

この情動系の情報について思うのですが、学校給食や郷土料理の懐かしさ、仲間とワイワイ食べる楽しさ、登山や仕事など達成感、旅行先やレストランの特別感、お祝い事、デート、逆につらい気持ちという情動系の情報が「おいしさ」に影響を及ぼしていることは体験として理解できるのではないかと思います。

郷土料理が、なかなか「郷土」を超えて全国区のメニューになりにくいのは、料理そのものというより、故郷で過ごした思い出や故郷の暖かさや懐かしさが加わるから「おいしい」のであって、懐かしさのを持ち合わせていないと「味」だけの評価になってしまうからではないでしょうか。

東京の「もんじゃ焼き」、学校帰りにもんじゃ焼きを食べるのか楽しみだったという懐かしさが、特別なものにしていると思います。宮崎出身の私がもんじゃ焼きを食べたところで、「味」も「おいしさ」も残念ながら感じることができないのは、もんじゃ焼きの「味」の問題ではないのだと思います。宮崎が故郷の私は「チキン南蛮」が懐かしい味ですが、子どもの頃に連れていってもらった延岡市の小倉チェーンレストランに行って食べた特別感がよみがえってきて、その感情とともに「おいしい」と感じるのだと思います。最近は「チキン南蛮」が全国区のメニューになりつつあるようですが、私の情動を揺るがす郷土料理の「チキン南蛮」とは別物に変化している場合には懐かしさが台無しになり、「おいしさ」はマイナスに感じてしまうでしょう。

このように「おいしさ」に情動系の情報が影響しているから、テレビを見ながら、仕事をしながら、考え事をしながらなど、食事に集中できないときの食事は、「味」も「おししさ」も感じにくいのかもしれませんね。

食事に情動系の情報を加えてみる。例えば、誰かと食事する、食事に出かける、懐かしい食べ物を食べてみる、アルバムを開いて思い出してみる、戸外で食べてみる、空や雲や日差しや風を感じながら食べてみる。情動系の情報によって、「おいしさ」が違ってくるかもしてません。